オリジナルはちみつ「Hachikai」は、奈良県の養蜂家が生産しています。彼は一般的なサラリーマン家庭で育ち、なじみのない養蜂の世界に飛び込んで一から学び、現在は独立して養蜂を生業にすることを目指しています。養蜂の世界では、養蜂家の家系ではない新規参入者は稀な存在です。彼の仕事や姿勢を通して、養蜂の広くて深い世界の一部を紹介します。


サラリーマンから養蜂の世界の門をくぐる勇気


彼の話をする前に、まずは筆者と彼との出会いについてお話します。

私はこれまで食品メーカーに勤めて営業を担当していました。仕事を通じて「美味しい食べ物をもっと多くの人に知ってほしい。誰がどのようにどんな思いで作っているかを伝えたい」と常日頃考えていました。あるとき、養蜂を始めた知人のはちみつを食べさせてもらい、今まで食べていたはちみつとは違う複雑な甘みとふくよかな花の香りに感動しました。そして、「もっとはちみつのことを知りたい」と思いきって養蜂の世界に飛び込み、ご縁ができたのが奈良県宇陀市でした。宇陀市で養蜂をされている方から紹介を受けて養蜂を勉強しているときに、若手の養蜂家として引き合わせてもらったのです。





当時、彼はまだ 30 歳になったばかり。もともと東京で会社員として働いていましたが、畜産業に興味があり、偶然養蜂の求人を見つけてこの世界に飛び込んだと言います。80 歳を過ぎても現役で養蜂を行う人が多いこの世界ではまだまだ駆け出しの養蜂家です。



奈良と北海道、二つの拠点を移動する養蜂


彼は養蜂家として蜜蜂の世話を行う傍ら、奈良の大手養蜂園の社員として夏は北海道への転地養蜂に随伴しています。転地養蜂とは、蜜蜂の入った巣箱を移動させ、移動した土地ではちみつを採ったり蜜蜂を育成したりする手法のこと。地域によって気候が異なるため、花の咲く時期や花の種類も土地によって変わります。そのため、花の旬を追いかけるように蜜蜂とともに長距離を移動して、みつばちを育てはちみつを採取するのです。特に、北海道には多くの蜜源植物(蜜蜂が集める、はちみつの基になる花蜜を出す植物のこと)が自生しています。夏の間は本州(特に西日本や太平洋側)に比べて気温も湿度も低い北海道の気候は蜜蜂にとっても過ごしやすいため、本州の各地で梅雨入りする時期から夏の終わりにかけて日本中から養蜂家が北海道を目指します。もちろん大移動することなく、一定の土地で養蜂を行う養蜂家も多いのですが、東西南北に広がる日本列島の地理的特性を生かした転地養蜂は、蜜蜂と共に旅をする興味深い手法です。





Hachikai のオリジナルはちみつは、彼が北海道で採蜜してきた「エゾアザミ」という花を蜜源としています。エゾアザミはチシマアザミの別名で、チシマアザミは北海道に広く分布するキク科アザミ属の一種で7月から9月にかけてくすんだピンク色の花を咲かせます。その花から採れるはちみつは、フルーティな香りがして口に含むと甘さの他に爽やかな酸味が感じられます。少しウッディな風味も感じられて後味はキレが良いです。



はちかいの仕事は自然と共にある、ということ


養蜂家の中心的な作業に「採蜜」と「内検」があります。蜜蜂は巣箱の中で自分たちの食料としてはちみつを巣に貯蔵します。はちみつが貯まった板状の巣である巣板を取り出して遠心分離機で蜜を搾り取るのが「採蜜」、採蜜などの際に働き蜂の数や女王蜂の産卵の状況などを把握するために巣板を1枚ずつ目視でかくにんするのが「内検」です。どちらも野外に設置している巣箱の箱を開けて行うため、雨に濡れると蜜蜂やはちみつにダメージが加わり、蜜蜂も機嫌が悪くなるので雨天は行えません。みつばちも雨では花の蜜を取りに行けないので働き蜂ははちみつを貯めることができなくなります。





本来北海道には梅雨が無いと言われていますが、昨年は彼が北海道に着いた6月中旬から約2週間に渡って長雨がつづきました。本来なら、梅雨の本州を抜け出して新緑の北海道で蜜蜂たちがはちみつを貯め、それを採蜜し、採蜜をしながら蜜蜂たちのコロニーを大きくしていくはずが予定通りにはいかず、さらに北海道に台風が3回も接近上陸したため、夏の間も天候不順に悩まされました。そして、山の木の実が不作で餌が少なくなった熊が人の生活圏の近くまで下りてくるようになり、熊に巣箱を襲われて世話をしていた蜜蜂の半分を失ってしまったのです。そのため、昨年彼らが行った北海道の転地養蜂は、異常気象による長雨や台風の影響で思った通りの養蜂ができませんでした。





奈良の知人からこの話を聞いたとき、彼の苦楽を見ていたので彼が受けた衝撃を思い言葉を失いました。夏の間に蜜蜂たちにとって環境の良い北海道で十分に蜜蜂を育てて数を増やして、また来年に大きな収穫をえるための準備をしていたというのに・・・。熊という自然の脅威に晒され、愛情をもって育てた蜜蜂を奪われてしまったことは相当堪えたのではないかと想像したのです。しかし、驚くことに奈良に戻ってきた彼は実にあっけらかんとしていました。「熊にやられちゃいましたぁ。」と飄々とわらっただけでした。それは強がりなのかもしれないけれど、自然の力を前に「人間は他の生き物と等しくちっぽけな存在なんだ」とかれが蜜蜂と共に過ごす日々のなかで見つけた前向きな諦念なのかもしれません。



めぐる季節、再挑戦の春


彼らが奈良に戻ってから次の春が巡ってきました。北海道で思うように数を増やせなかった蜜蜂たちも、好天に恵まれて順調に育ち、蜜も良く集めてくれているようです。今年も彼らが北海道に出発する前に、蜜蜂の様子を見せてもらいに新緑が萌える良く晴れた日を選び彼の蜂場のひとつを訪ねました。

そこは南に面した山の斜面の一角で、日当たりも良く、かつて棚田として使われていたと思われる斜面を細長く均した場所。周囲を見渡すと同じ斜面を均した面に水鏡を張った水田が数枚、向こう側には田舎の家らしい立派な構えの民家が数軒連なっており、檀家回りをするお寺さんの読経に合わせて鳴る、おりんの音が聞こえてきました。見下ろした先には市街地の家並みが山々に囲まれてひしめき合い、その間を縫うように近鉄電車が通り過ぎていきます。




「顔を写すのは恥ずかしい」と、本人の写真は撮らせてもらえなかった代わりに、蜂の世話をする手元をのぞき込み、その作業の様子を写真に収めました。巣箱にはびっしりと、板の両面に合わせて約 2000 匹の働き蜂が付いている巣板が3~4枚入っていて、彼はその巣板を引き上げて働き蜂の数や女王蜂の産卵の勢いなどをチェックしては箱に戻していきます。全て北海道に連れていく蜂たちで、順調に成長しており、同じような巣箱が 15 箱ほど等間隔に並べて置かれていました。「昨年の教訓をふまえて、北海道での養蜂を頑張ってくる」と彼は意気込みます。これからについて尋ねると、「いま周りの人たちに支えられながら養蜂をしているけれど、しっかり蜜蜂を育ててはちみつを採り、販売先も確保して早く独り立ちしたい」と先の目標を語ってくれました。




安定した会社員の職を手放して、時に自然に翻弄され、脅威にその身を晒されることもある一次産業の世界に飛び込んだ青年の姿は、希望とやる気に満ち溢れていました。そしてそんな彼の姿を通して、私も彼を支える一人としてはちみつや蜜蜂、それに携わる蜂飼いの人たちの姿を多くの人に伝えたいと気持ちを新たにしました。



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